FACM

福山自動車時計博物館

Fukuyama Auto & Clock Museum

博物館ブログ


クラシックカー

戦前につくられたT型フォードやダットサンをはじめ、バタンコと呼ばれ親しまれた三輪トラックや軽三輪車など、国内外の往年の自動車を館内外に展示しております。

T型フォードスピードスター1915年

T型フォードスピードスター 1915年

T型フォードは1908年に発表された20世紀を代表する名車である。排気量2900cc、馬力は22hp。

ベルト・コンベアー式の大量生産によって、それまでの王侯貴族の専用物だった自動車を広く世界の庶民にまで普及させた大衆の乗用車である。

1918年までにアメリカで保有される自動車の半分はT型フォードとなっていた。

 

ダットサンフェートン 1935年

ダットサンフェートン 1935年

フロントグリルが心臓の型をしていたのでハート型フェートンと呼ばれた。

A型フォードと同じく、ガソリンタンクは運転席のひざの上の前にあり危険なので、翌年からは現在と同じ後部の座席下に置かれた。

右からアクセル(A)・ブレーキ(B)・クラッチ(C)の順番は(ABC)でなく、ブレーキアクセルクラッチ(BAC)と現在の自動車とは異なっていた。

メーター計器類は舶来メーカーのスミスのものが付いている。おもちゃのようなこの16馬力、722ccを作った日産が世界有数の自動車メーカーになることを誰が予測したであろうか。このダットサンフェートンは、翌1936年(S.11年)式から大量生産された。

 

ジープスター 1949年

ジープスター 1949年

1949年(S24年)マッカーサー元帥は日本での乗用車生産禁止令を解除した。この写真のジープスターは同年、米国オハイオ州トレド市で製造された。

ジープはミリタリーカー(軍用車)の四輪駆動車であるが、平和になって、このエンジンを利用した後輪二輪駆動車がシビリアンカー(民用車)のジープスターだ。第二次大戦が終わり、軍用車製造のウイリス社は軍用ジープを転用してこのジープスターを全天候型乗用車として製造していた。

翌年の25年には、この4気筒2200ccに対して、6気筒2433cc 70馬力の音の静かなエンジンを開発した。

 

プジョー203A 1954年

プジョー203A 1954年

1,300cc、42馬力で、1954年(S29年)にフランスより完成車で輸入。昭和23年より35年まで実に12年間同じものが製造されたのである。

シャシーの上にボディーが載るのが常識の日本で、シャシーのないモノコック方式で作られており、その上天井の開くサンルーフが付いており、ルーフラックも取り付けられるようになっている。当時の日本人を驚かしたであろうことが容易に想像できる。

 

陸王サイドカー 1955年

陸王サイドカー 1955年

クラシカルで美しく乗り心地の良いサイドカー。

官公庁、警察、新聞社等がおもな納入先で一般に発売された数はわずかに過ぎない。1950年(S25年)に生産再開となった陸王の主力モデルが1200ccサイドカーであった。

 

フェアレディー 1961年

フェアレディー 1961年

1961年(S36年)式SPL213、左ハンドル、輸出用。ダットサンフェアレディーZのルーツである。

エンジンはブルーバード1200ccを馬力アップしたもので、メーター類・ドアハンドルも応用、テールランプ類はオースチンA50の応用であり、ステアリングハンドル・灰皿などは210型の応用である。

平成の世にも十分通用するデザインのスポーツカーである。

 

マツダ三輪タクシー 1950年

マツダ三輪タクシー 1950年

広島では原爆のため、すべての自動車が壊滅し失われていた。1949年(S24年)までは、マッカーサー元帥の四輪乗用車生産禁止令のため、日本の自動車メーカーは三輪乗用車を製造していた。頭で言えば7ナンバーの車である。

広島タクシー社長の故小野氏は、約20台のバタンコタクシーを地元のマツダに発注した。小野氏は広島に緑が不足するということから、ボディーの色は当時珍しかった緑に決められた。

料金は当時市内一律50円だったという。音はやかましいし安定が悪く、時折横転して困ったという。約5年間、昭和30年ごろまで利用された、幻の自動車といっても過言ではない。

 


アンティーク時計

大名時計と呼ばれることもある江戸時代につくられた和時計の枕時計や櫓時計、欧米の塔時計、国内外の掛時計・置時計・懐中時計など、多数展示しております。

櫓時計

櫓時計

江戸時代中期~末期。

時計箱の下から錘りが長く垂れており、おもりを動力にして動く。下にある台が櫓(やぐら)のように見えることから櫓時計と呼ばれている。

時計本体の上に錘の付いた天秤棒があり、そこにぶら下げる錘の重量を変えることで、時計の進む速さを調節し、不定時法に合った進み方にしている。

 

枕時計

枕時計

江戸時代末期に作られた精巧で豪華な逸品。

持ち運びもでき、目覚まし、カレンダーも付き、動力はゼンマイで鎖引き装置さえしてあり、ゼンマイの力の時間の経過による強弱を補整する。

円テンプが使われ、金メッキを施し柱はロクロが切られ、文字盤のまわりには、美しい唐草模様が彫刻され前後2枚の真ちゅう板の間に歯車を取りつけ左右はカバーがないので内部の機械が見すかしになっている。

 

からくり時計 1800年代後半

からくり時計 1800年代後半

時計の文宇板には白のほうろうが施され、文字はローマ数字で手書きで書かれている。動力はゼンマイであり、時間打ちや音楽装置はない。

オルゴールは時計の本体より別に台の下に装置されており、糸を引っ張ってオルゴールのネジを巻くと、風車が回転し船は左右に揺れ、鉄道レールの上の汽車が走るからくりがなされている。

放物線のカーブを描いたガラス蓋には、泥絵の具で絵が描かれている。黒色に塗られ、面を取った木製台の中にオルゴールが仕込まれている。箱庭の中には時計台の建物と風車のついた建物や、鉄道の走る石橋があるメルヘン調の時計である。

 

ヨーロッパの懐中時計 1700年代

ヨーロッパの懐中時計 1700年代

 

欧米の塔時計(タワークロック)

欧米の塔時計(タワークロック)

 

掛時計(ボンボン時計)

掛時計(ボンボン時計)

 


ろう人形・その他

ろう人形、木馬、自動演奏ピアノ、オルゴール、蓄音機、カメラ、ラジオ、石油コンロ、古き良き日本の昭和レトロな生活用品・電化製品なども展示しております。

ろう人形

ろう人形

バラク・オバマ、ジェームズ・ディーン、エルビス・プレスリー、吉田 茂、ジョージ・ワシントン、ジェネラル・マッカーサー、ヘンリー・フォード他

 

イギリスの木馬

イギリスの木馬

 

軽飛行機 パイパーチェロキー

軽飛行機 パイパーチェロキー

 

ご利用案内

■ 開館時間 ■

年中無休
(年末年始も開館)

AM9:00~PM6:00

 

■ 入館料 ■

小 人 ¥300(¥250)

中高生 ¥600(¥500)

大 人 ¥900(¥700)

65歳以上¥600(¥500)

障がい者¥600(¥500)

「小人」は3歳~小学6年生
()内は15名様以上の団体割引料金です。
 
ご優待チケット
※入館料割引券を発行しております。
ご来館時にプリントをご持参いただくか、
携帯端末の画面でご提示ください。
 

■ サービスデイ ■

毎週土曜日 高校生以下無料
科学技術週間(4月18日を含む月~日曜日)高校生以下無料
こどもの日(5月5日)高校生以下無料
時の記念日(6月10日)高校生以下無料
開館記念日(7月4日の開館記念日に最も近い土・日曜日)全員割引

 

アクセス

広島県福山市北吉津町3-1-22

TEL: 084-922-8188

JR福山駅北口から徒歩で約12分・タクシーで約5分
JR福山駅南口の7番バスのりばから向陽循環線(北吉津先回り)で「北吉津住宅」降車
山陽自動車道 福山東ICから自動車で約15分、福山西ICから自動車で約30分
無料駐車場あり
(小型・普通車用 博物館西隣、大型バス用 博物館南東側 斜め向かい)

facm director

大量生産・大量消費・大量廃棄の現状では、自らの生命を脅かす公害をもたらしています。一方では、心にゆとりを持つ居住空間や緑も不足しつつあります。戦前生まれの我々が、戦後の貧しい時に育った社会は”空気”と”水”と”治安”が無料であった時代だと思います。思い出してみる必要があるのではないでしょうか?

“すべてのものが豊か過ぎる時代、使い捨てや過保護について考える時代が来ています。”

第二次世界大戦でゴム・アルミ・鉛・石油等の自然資源が不足していたことは万人が認めることです。資源の乏しかった頃は、教育こそが物的資源に勝る資源でした。そのことは、豊かになりすぎた現代において思い出すべきことです。

“五感を使うことこそ、人が自信を得ることだと思います。”

福山自動車時計博物館は、「のれ・みれ・さわれ・写真撮れ」をモットーにしており、自信を得ることができる体験型博物館です。「のれ・みれ・さわれ・・・」の言葉は、岡山弁の「のられ・みられ・さわられ・・・」の“ら”を抜いた言葉です。

福山自動車時計博物館 館長 能宗 孝